いでまい食堂

しあわせごはんとおやつ、ときどきおはなし

イベント出店のお知らせ

追記

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23(土)ですが、都合によりいでまい食堂の出店がキャンセルになりました。ご予定されているかたがいらっしゃいましたら申し訳ございません。
他の出店者さんとイベントは予定通りですので、ぜひお越しください〜!

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先日の大阪での地震、大切なともだちもたくさん住んでいてとても心配です。

まだまだ不安な日々が続くと思いますが、1日もはやく元通り、いつも通りの生活に戻れますように。

 

 

イベント出店のお知らせです

 

ボタニックグリーン ユカタ展。
@原宿デザインフェスタギャラリー

 

6/22(金)〜24(日)

ボタニックグリーンさんのユカタ展に参加させていただきます🎶


麻のとってもきもちいいゆかたです。しかもひとつひとつ丁寧に手作業で草木染めされてますので、同じものがひとつもありませんー!とってもすてきな色合いと柄で、すべて1点ものです✨

 

いでまい食堂は土日の出店ですが、金曜日から開催されてるので、いろんな柄のゆかたを見たい方は金曜日から行ったほうがいいかも😉


日曜日はゆかたデモパーティーもあります!みんなで盆踊りもしますよ〜🎶 ぜひおこしください、おまちしています〜!

 


◎Botanic Green
http://botanicgreen.com/

◎イベントページ
https://www.facebook.com/events/1922405971125287/?ti=cl

◎アースガーデンのHPでも紹介されてます!
http://www.earth-garden.jp/shop-craft/59323/

 


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自分次第

自分の人生、またそのまわりに起こることのすべてのことは、自分に原因、理由がある

良いことも悪いことも、なにが起こってもすべての責任は自分にある

 

 

すべて自分の責任

ということはすべて自分次第

 

自分の中で起こってることは、自分のもの

ということは、すべて自分でどうにかできるということ

 

誰かのせいに、何かのせいにするのか

自分の責任とするのか

 

 

誰かの何かのせいにしたほうが簡単そうでしょ

自分の責任だなんて、なんだか重いしまじめだし、固そうでしょ

 

でも実は、自分の責任としたほうが

すっごく楽チンで、すっごく簡単で、すっごく自由で、すっごく楽しい!

 

 

ということを、書きたかったのだけど

きょうはあたまの回転が限界です。。

 

またあしたか、あさってか、、に〜!!

 

 

 

 

ふつうということ

あたりまえのこと、

 

自分にとってあたりまえのことでも、他人にとってはあたりまえじゃなかったり

他人にとってあたりまえのことでも、自分にとってはあたりまえじゃなかったり。。

 

あたりまえとか、ふつうってほんとは人によってぜんぜんちがうのに

どうして基準をつくりたがるのだろうね

 

「ふつうさー、◯◯だよね?」てやつ

 

ほんと、ふつうってなんだろうね?

世間いっぱんでも、あるグループの中でも、ふつうって多数決、多数派のことだと思うんだけど

それがふつうとは限らないし、ましてや正しいのかも疑問

 

正しいのか正しくないのかというのも、あるのかないのか

これもまた、基準だよね

 

なにかをジャッジする必要て実はそんなになくて

ジャッジをしたがるから、そこにふつうとかふつうじゃないとかの基準が必要になってくるのであって

ありのままのものを受け止める

そこにいいとか悪いとかの判断をつけない

 

自分がしたいのか、したくないのか

ぴんとくるのか、こないのか

こころがうきうきするのか、しないのか

とびつくのか、躊躇するのか

ねこまっしぐらなのか、ねこ見ぬきもしないのか

 

自分のことをジャッジしない、決めつけない

人や物ごとのこともジャッジして決めつけるとは、なんておもしろくなくて、そしてこわいことなんだろうと思う

 

 

また、自分にとってあたりまえのこと、ふつうのことが

実は、そうではなくて人の役に立つこともあるかもしれない

 

考え方とか技術とか、知恵とかなんでも

「こんなのみんな知ってるよね」とか

「こんなのみんなやってるよね」とか

わざわざ言わなくてもいいよねって思ってることが、実はすごく画期的なことかもしれない

 

察するとか、以心伝心、テレパシー、とかあるけど

でもやっぱり、声に出さないと正しく伝わらないことも多い

そう、なんて多いんだろう!

 

 

だれがふつうで、だれがふつうじゃないのか

なにがあたりまえで、なにがあたりまえじゃないのか

 

どっちもふつうだし、どっちもふつうじゃない

どっちもおんなじだし、どっちもおんなじじゃない

どっちもどっち

 

いいも悪いもない

自分を信じていれば、“ふつう”に惑わされることはないし、

人を“ふつう”の枠にはめて判断することもない

 

どんな人でも物ごとでも、いろんな側面がある

ちがいをおもしろがること

 

 

まあでも、結局は人生、どこに重点をおくのかによるのか

それもわたしの“ふつう”てあって、だれかの“ふつう”ではないのだね

 

 

かんたんたんじゅんしんぷる

だいたいのものごとというのは、実は簡単で単純でシンプルだ

 

 

好きか好きじゃないか

やりたいかやりたくないか

ぐっとくるのかこないのか

わくわくするのかちがうのか

あるのかないのか

ないのかあるのか、、

 

どっちでもないっていうグレー、またそれも簡単で単純でシンプル

 

 

それをむずかしくしてこんがらがってるのは自分の思考

すべて(だいたい)自分の思考次第

 

ほんとは単純だったものごとを複雑にしたり

たいした問題じゃなかったのにどうしようもなくこんがらがってしまったり

 

むしろ、簡単におわってしまったらいけないみたいに

ものごとをどんどんむずかしく深刻にしたがってないか

 

悩むのはたのしい

ふとんにくるまって「もうダメだ」と泣いたり

青空を見上げて絶望的な気分になったりするのも、またいい

 

だけど、本当は

ものごとはすごく単純であるということをわかってそれをやるのと、わからないでやるのとではぜんぜんちがう

 

ぜーんぜんちがう

 

いつも自分の気持ちのうごきを観察するといい、たのしい

うれしいことも、傷ついたことも全部この先の自分の糧になる

そういう気持ちで構えていると、苦しいことも逆にうれしくなったりしちゃう、かも

 

苦しいことなんてないならないでいい

自ら求めることなんてない

どうしようもなくむこうからやってくるときはあるんだから

 

それを試練なんて思わなくてもいい

そんな修行じみたことなんてしなくても大丈夫

 

苦しいことに耐えないと、しあわせにはなれないなんてそんなことはない

とっちでも大丈夫

 

あってもなくても大丈夫

むずかしく考えなくても大丈夫

 

もちろん、修行をしたければすればいいし、複雑にしたければすればいい

どっちでも好きにすればいい〜

 

どっちがダメなんてことはない

 

 

初めから最後まで、頭からっぽていうことじゃなくて

ひとまわりか、ふたまわりか、何周かしたあとにね

もし、いつまでもおんなじところをぐるぐるしているなら、それはもうおわりにしたほうがいいんじゃない?

 

ぐるぐるぐるーーって遠心力でぽーーんっと外に飛んでいくのも楽しそうだよ

やってみたらいい、いろいろね

それで、ちがったらまた別のところに行けばいい

そこしかないわけじゃない

 

どの道を進んでもまた道はつながっている、はず

あーかんたん、あーたんじゅん 

 

人にあう

きのうは帰りがおそくなってしまいました。

打ち合わせで原宿まで、大好きな方々と一緒にできてしあわせだな〜

またあらためて告知させていただきます!

 

 

『人にあう』

 

まいにち、仕事にいったり友だちとあったり、どこかへ出かければ誰かに会って、あいさつをしたり話をしたり、笑いあったりするけれど、

 

いつもそれをなんとなくやってるよね、だいたい

まいにち会う人、たまにしか会えない人、年に1度会う人、縁遠くなった人とか、初めて会ったけどもう会わないかもなって人とか、いろんなシチュエーションがあるけれど、

 

仲のよさや親密さに関係なく、できるだけ人と会うとき、接するとき、コンタクトをとる時は120パーセントの気持ちで接したいなと思う

いつでもこれが最後かもしれないという気持ちで

 

たとえば、朝起きて家族に「おはよう」っていう時も

新しい「おはよう」だし、2度とない「おはよう」だもんね

 

少しおおげさかに聞こえるかもしれないけど、

そして実際にはできないことも多いし、その時はふつうかもしれないけれど、基本そんな気持ちではいて、いつでもこれは特別な時間なんだな、と思う

 

どこかに出かけていくとき、それって誰かに会いにいくということが多い

目的は人それぞれかもしれないけど、でもそこにいる人が好きだから、魅力的だから会いに行きたくなるし、人も集まってくる

 

でも、その人からなにかをもらおうっていう気持ちは、そのときはなにかを得た気持ちになるかもしれないけど、その時でしかない。あとには残るものではない

 

もらうもあげるっていう気持ちもなく、ただ会いたいっていう気持ちだけなんだよね

その人が好きだから会いたい

 

そんな単純で純粋なきもちだけでいいと思う

あたりまえのことだからこそ、たびたび確認して思い出して大切にしたいなと思う

フラットなきもち

雨のため本日に延期になりまりた、セキマチマルシェ

完売御礼!ありがとうございました!!感謝です♡

 

 

『フラットなきもち』

 

ふと「ああ、いつもフラットな気持ちで構えているんだな、わたし」と思ったときがありました

 

いろんなことにフラットな気持ちでいること

見るものにいつでもフラットな目をもつこと
聞こえることにいつでもフラットな耳をもつこと
 
先入観をもたない、決めつけない
人と会うとき、こういう人なんじゃないかとはじめから決めつけない
人とか、物事に対して、どうせとか、ぜったいとか思わない
あと、ふつうはとか、常識ではとか
 
感情をうすくってことではなくて、公平にってことが近いかな
 
とりあえず、いったん受け入れて判断する
または判断しない
 
自分の興味のあることだったらもっと掘り下げればいいし
必要ないものだったら、右から左に勝手に流れていく
 
年が上だからとか下だからとか、男だからとか女だからとか、
こわそうだからとかやさしそうだからとか、派手だからとか地味だからとか、お酒を飲むからとか飲まないからとか、
 
とにかく自分の中や、社会一般にある見えない枠をつくらないこと
今できてる自分の中にある常識というものは、決して自分の考えではないということ
むしろ、だいたいが誰かの言ったことだということ
 
 
フラットな気持ちでいると、基本的に楽しくいられる
余計なことでいらいらしなくてすむ
よりたくさんの情報やいいことが入ってくる。だって枠がないから
 
常識にとらわれないということだけど、
もちろん自分の判断基準となるものはなきゃだめで、信念とか価値観とか
そこに沿っているか、ぐっとくるか、テンションがあがるか
ただふらふらしてるのとはちがう
 
嫌なことが起きた時に、ダメージを受けないようにするためじゃなくて
そういうマイナスの対処法ではなくて、
人とか、日々の生活の中で起きる様々なことにフラットな気持ちで向かい合うってこと、おおらかに
ただそれだけのこと、リラックスして
 
 
まあ、適当って言われたら適当なのかも
適当も案外大事よ、きっと

 

もちもの

まいにちブログを更新してみよ〜!のチャレンジをしてみたいと思います。

いつまで続くか、、このチャレンジにとくに意味はないんだけど、できるかぎり、まいにち(のように笑)がんばってみます!

 

 

『もちものについて』

 

ここでいう「もちもの」というのは、物質じゃなくてお金でもなくて、自分の中にあるもののことで、

 

愛とかやさしさとか、思いやりとか。

思考とか、思想とか、頭脳とか、技術とか。

声とか、話術とか、見る聞く、体力とか、、

 

自分がもってるものって、たぶんすっごくたくさんあって、あげきれないけど

で、そのなかの気持ちの部分、愛とかやさしさとか思いやりとかね

 

まいにちの暮らしのなかで、出し惜しみしたくないなって思う

家族にも、ともだちにも、職場の人にも、すれちがう人たちにも

 

なくなったりしないからね、だいじょうぶ

それを使わないほうがどんどん奥にしまいこまれてしまって、簡単に出てこれなくなっちゃう

 

気をつけて意識をして、人と接するときにやさしい気持ちでいようとしていると、自分もきもちよくいられるのもそうだけど、自分のまわりが変わっていく

 

気に入らないと思ってたものが、相手のせいじゃなかったり

不快だと思ってたことが、ましになったり

朝のホームの人たちが邪魔だと思ってたけど、先を譲る気持ちになったりとか

 

そういう自分の中にあるものを、もったいぶらずにつかってこう

競争も駆け引きもまるで意味ない

 

もともともってるものだもん

使ったからって損するわけでも、お金がへるわけでもないよ

 

相手は関係ない

相手がしてくれないからって、自分もしないというのはとっても変な考え

誰かの変な考え

 

自分がしてあげたいからするだけ

してあげたいならすればいい

そのあとに同じもの、(人によってはそれ以上のもの!)を求めなくていい

結果、そのほうが断然楽な気持ちでいられるから

 

ぱっと、わたしのもってるものをもったいないなんて思わずに、いつでも出せる人でありたいな